日 記

2004年04月03日
年度末は何かと忙しい。早く帰りたくとも帰れない。仕事中机に挟んである我が子の写真をふと見ると、「お父さん、早く帰ってきてよ!」と言っているように見える。よしがんばるぞっ、気合が入る。

           

赤ちゃんの力ってすごいものがある。いくら疲れていても、帰宅して寝顔や笑顔を見るといっぺんに吹き飛んでしまう。我が子が生まれて以来随分と助けてもらった。     元気にすくすくと育ってくれている。身長も伸び体重も増えた。いや増えすぎか?以前より何かしゃべっているように聞こえてきた。毎日色々な変化があり楽しい。子供を育てているというより、こちらが逆に育ててもらっているというほうが正解かもね。

写真は、生後5ヶ月頃
2004年03月06日
何人かの子育てをしている知人に聞くと、多くは「夜泣き」に悩まされ日々寝不足だようである。我が息子草太は今までのところ殆ど夜泣きはない。まことに親孝行である。夜は夫婦共々ほんとよく眠れる。最初のうちは寝入ってしまい泣いていても気付いていないのかと思っていた。まあ、これからどうなるか・・・・・

           

現在生後8ヶ月。最近よく笑うようになってきた。色々な場面で笑顔を見せてくれる。こちょこちょっとしてケラケラ、べろべろばぁーとやってまた笑い。これって独りでやってみると大変恥ずかしいものだが、子供の前では平気でやれる。毎日顔を見るのが楽しい。職場で机に挟んである写真を見てはにやっ! 家に帰って顔を見てニタッ!  こんな親父の顔を見ている草太はきっと「汚い顔近づけんなっ!」と思っているに違いない。    今日も明日も笑顔で接する事を心がけたい。

写真は、生後4ヶ月頃
2004年02月29日
結婚して6年目にしてようやく授かった我が息子「草太」。破水して緊急入院。陣痛が起き始めてからおよそ4時間後に予定日より1ヶ月早く、2370cで生まれた。(一応低体重出生児だ) 立会い出産をしたものの、私としてはほんとあっという間の出来事だった。もっと長い時間かかると思っていたので、少し拍子抜けした感もあるが、出てきたときには感動のあまり声が出ず、小さい小さい我が子を見て、無事に生まれて来てくれて有難うと、連れ合いの手を握りながら心の中で言うのみだった。2日間保育器に入り、3日目にようやく抱っこできた。この時は本当に嬉しかったなあ。この感動をいつまでも忘れないようにしたい。

           

ところで、ドラマ「北の国から」は私が高校生の時から始まった。連続ドラマの1回目からずっと見ている。というか、最初の方は両親が見ていたのを他に見るものが無いから見ていただけだと思う。率先して見るようになっていた。何故にこんなにはまっているのだろう? 自分でもよく解らない。何かに対する憧れなのだろうか?

写真は草太3ヶ月頃
2004年02月22日
今日は我が家の結婚記念日だ。と言っても特別何かしたわけではない。午前中はソフトボールの試合(2連勝!)、午後からは難波にあるパークスに出かけた。ただそれだけのことである。我が息子にとっては初の繁華街デビューであった。関西テレビの取材を親子で受けた。(生後7ヶ月の草太はただ単にカメラに写されていただけである) 何もわざわざここの日記に書くほどのものではない事は十分に理解しているのだが、なにぶんページ作成超初心者の私であるので、勉強のつもりで書いているのでお許し願いたい。

           

草太 生後1ヶ月
2004年02月14日
1981年10月9日放送開始し2002年9月6、7 日放送の「2002遺言」を最後にドラマ「北の国から」は21年の幕を閉じた。当初より大ファンだった。自分なりに何かの形でこの思い出を残したいと思い、パソコンは素人の私であるが、ある意味命がけで(そんな大そうな!)このページを作った訳である。

昨年7月息子が生まれ、夫婦揃っての北の国からファンで、「草太」と名付けた。(これには、草のように踏まれても強く育って欲しいという思いが込められてる)  やっぱりただのバカですかね?

このページでは、「北の国から」の思いでを綴っていくのと合わせて、我が子草太の成長を記録して行きたい。まあ、作者の私は超マイペース人間であるので、更新の方はほんとマイペースだと思います。頑張って作っていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。


                
写真は草太生後6日目です。     


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